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たまたま標的がかぶってたらしい一件というのは、
非番の太宰がわざわざ呼び出されるまでもなかった規模のそれではあったれど。
あの漆黒の青年と鉢合わせ、え?と意外に思ったそのまま
軽んじてはいけないレベルのものらしいと気づいた順番ではあって。
『そちらの担い手が貴様だったとはな。』
あからさまな舌打ちが聞こえ、
敦の側でも負けん気に支えられた意気と緊張感が胸の内に沸き上がるのを自覚する。
案ずるより生むが安しとはこのことか、
非番の日は笑い合って接している身が、相手を気遣うようにもなった息の合いようが、
あっさりとどこかへ仕舞われて影もなく。
授けられた任務を最優先に遂行するまでと、
足元を意識してしっかと踏みしめ、
ポートマフィア側の牽制者、いやさ妨害者を射殺すほどの鋭い視線で睨んだ敦であり。
「……っ。」
寒風に相手のまとう長外套がひるがえる。
ウェスト部位をベルトで縛っているせいか、
太宰のそれのような、軍旗を思わすほど大きなひらめきようじゃあないが、
それでもそのはためきは何らかの合図になったようで、
「…、逃がすかっ!」
足元を固めつつ、目に見えてとならぬよう、脚へ虎の異能をやや下ろし、
瞬発力を倍加した上でスタートダッシュに全力を投じる。
人通りが少ない裏道だとはいえ、
乾いたアスファルトを何が落ちたかと錯覚させるほど深く穿って飛び出した虎の少年へ、
すぐ傍らを駆け抜けられた格好の黒獣の主が、負けじとその身を反転させた反射も物凄く。
常人だったなら、相手の姿が消えたと呆気に取られてしまったところ、
きっちり目で追い、黒外套の異能を俊敏に放っている辺りがこちらも相変わらずに恐ろしい。
見た目に何も負ってはない手ぶらの敦だが、
ポシェットなりハードタイプのケースなりを手にしていれば弾かれて落とす危険もあったろし、
真っ向からの対峙は避けて逃げたところが、何か持っていることを示してもいて。
「わっ!」
自分が通過したすぐ後の道路にがつがつと羅生門の切っ先を突き立てて追って来るのへ、
届かないのかと思ったのも一瞬、足元を崩そうと思っているようだと気がついた。
そこでと傍らのそちらも錆びついた街路灯を一瞬の足場とし、
一歩だけ踏みしめるとそのまま頭上の高さになろう、
住人なんていない廃アパートの屋根へと飛び上がったところ、
「わあっ!」
二階家のその二階部分を
ずんと切っ先の長い太刀のようにした羅生門で横ざまに薙ぎ払ってしまった乱暴さよ。
「こらぁ、あちこち破壊してかかるな、大雑把めッ!」
「どうせ解体の憂き目が待つだけの廃屋。いっそ厄介払いになろうよ。」
「そこまで考えてなかった癖にっ。」
足場が無くなり、仕方なく道へと戻ってただただ駆ける。
後方からの殺気は半端じゃあなく、
当人も結構俊足だし、ひゅんひゅんと風を切る気配もありありと
ひと刈りごとに身近間近へ確実に伸びてくる漆黒の刃の存在が恐ろしく。
こうなったら持久戦だと、脇目も振らずに駆けたが、
体力では圧倒的に勝る敦にも不利な条件がないではなくて。
この配分でゆけば、すぐにも人通りが多いところへ至ってしまう。
人ごみへ紛れたら彼奴はどうするか。常人なら見失ったかと諦めようが、
“彼奴の場合はそうはいかないかもしれない。”
貿易関係の大臣のお声がかり、
それは重要なデータが入ったフラッシュメモリの移送という任務であり、
敦以外にも数人が別々のルートで移送中。
どれが本物かは総指揮担当の乱歩しか知らないその上、
本物を持っている存在自身へも知らされてはおらぬという過酷さで。
たとえダミー担当であれ、気を抜くことも諦めることもご法度という
随分と無慈悲な拝命のされようなので。
それほどに重要なデータなら、狙う側とて半端じゃあ足らぬ。
特に彼奴の過激さは、犯罪組織なのだ文句あるかという次元のそれなので、
多少の人の往来くらいでは、怯むことなくの一網打尽策を取りかねない。
飛び込んで間がないのだから そう遠くへは逃げておらぬ筈、
片端から網に掛けて燻り出すなんて造作もないと やらかしかねずで。
「…わぁっ!」
とうとう足首を搦めとられ、勢い余って地べたへ引き倒されてしまい、
結構な面積を大きく擦りむいてしまったが、それどころじゃあない殺気様の到来へ、
ダウンジャケットの下、結構寒いというにいやな汗がだらだらと背条をすべり落ちるの、
いやでも意識してしまった敦くんだったそうな。
◇◇
「そんな対峙があったとは。」
全然気がつかなかったと、純粋に驚いているらしく、
鳶色の双眸を大きく見開いた太宰だったのへ。
卓袱台の向かい側、大きさも作りもバラバラな2つの湯呑へ急須を傾けつつ、
敦の側は気まずそうにちょっぴり視線を動かす。
「そりゃあ、芥川の方は問題なかった出来でしょうし。」
動揺もしないまま、その後で いつものように太宰と逢ったに違いない。
ジャケットのポケットにねじ込んでいたメモリを取り上げられかかったが、
其れも“羅生門”で手掛けた用心深さは正解だったという仕掛け、
クラッカーレベルの火薬がパンっと弾けて。
【敦くん、お疲れ〜。
敵さんはおそらく黒外套の君だろうが、残念でした、は・ず・れだよ♪】
データの代わりに内蔵されてた録音だろう、乱歩さんの声があっけらかんと再生されたそうで。
「二人して無言のままその場で固まった後、
羅生門で地味にチクチクと突き刺しまくられましたよ。」
「何それ、可愛いvv」
自分にとっては双方ともが後輩で部下という存在であるせいか、
単なる仔猫同士のじゃれ合いでも想像したらしく、観たかったなぁなんて言うものの、
「可愛いもんですか。
ジャケットこそ太宰さんから買ってもらったって知ってたからでしょう
抉るような傷は免れたものの、
脚とか手とかへは容赦なくって。」
伏せた手のひらの周りにアイスピック立てる遊戯みたいに、
だがだがだがって輪郭廻りを突きまくられましたよ。
抉られたアスファルトが当たって地味に痛かったし、
今回 靴は死守してたのに結局は穴開けられましたしと、恨めしげに言ったところ、
「でもそのすぐ次の日に、二人で仲良く出かけてたじゃない。」
「それは…そうですが。////////」
怪我は治っても血液まで復活させるのは間がかかる。
貧血気味だったのを考慮してくれたのか、中華街で好きなだけ食べろと奢ってくれた。
靴も察していたか、新しいのを買ってくれて、
「…非番の日はいいお兄ちゃんなんですよね。////////」
あ、これ中也さんにはナイショですよ?
妙に張り合って、無駄遣いさせちゃうんでと付け足してから、
「中也さんの話もねだればいっぱい聞かせてくれるし、
逆にこっちから太宰さんの話をすると、
判りやすく食いついてくるのが、言っては何ですけど可愛いし。」
ちょっと喧嘩になって、もう知らないってそっぽ向くと、
いつもじゃあないですけど “しまった”っておろおろしちゃう時もあって。
なんて、いくらでも言い足す虎の子くんなのを
微笑ましいものだなと優しい造作の目許、やんわりと和ませた太宰だったが、
「敦くん本人は、一途なところも前向きなところも、
私にはないものばかりで素晴らしいと認めてるけど、
身内をハラハラさせるような向こう見ずは、親として婿にも嫁にも認められないから。」
そこは改めてねと言い足され、
「だから、誰が誰の婿で嫁ですか。/////////」
湯呑を両手で包み込み、慎重そうに吐息で冷ましつつ啜る様子は落ち着いているというに、
まだそんなことを言う太宰なのへ、敦がげんなりと肩を落とす。
「じゃあ、敦くんは、あの子に不満なところがあるっていうのかい?」
「いや、それは…」
いいお兄ちゃんなんて言ったくらいで、
かつてはともかく今更 悪印象はないのだろう。
虚を突かれたように暁色の瞳をぱちぱちっと見張ってから、
「そうですね、
犯罪組織の人だってところへ目を瞑れば、申し分なくいい奴だと思いますよ。」
そこは…大好きな中也への見方と並べれば済む“物差し”を持ってきたらしく、
「綺麗で強くて頼もしいし、
男らしくすぱって英断できるところは、
ボクには到底真似できなくて凛々しいなって思いますし。」
「うんうん。」
時々向こう見ずなことをやらかしますけど、ボクも他人のこと言えませんし、
叱り方も上手で、いつもやり込められちゃってますし、と。
お兄ちゃん属性に丸め込まれているところをこぼしてから、
「でも。ボクには中也さんが居ますから。」
ここぞとばかりに言いきって、胸を張りの鼻柱をつんと反らして言いきれば、
むうと膨れた美丈夫さんから聞こえたのが、
「ちっ。」
余りのあからさまさとタイミングとへ、
何ですか、その舌打ちは、と、
こっちもついつい不遜な物言いをして言い返したほどであり。
「っていうか、しっかりしてくださいよ、太宰さん。」
社から離れる口実にと、口から出まかせに“熱がある”なんて国木田へ告げた敦だったが、
駄々とも取れよう訳の分からぬことを言い散らかす取り乱しようは尋常じゃあない。
落ち着いてと掴んだ腕、手首辺りの包帯で覆われてはない辺りに手がじかに触れ、
あれ?と気がついたのが、冗談抜きにやや熱い。
『どうやらこの寒いのに昨夜いつもの入水をやらかしたようで』
国木田さんへとそんな苦しい言い訳をした敦だったが、
実はこれこそ瓢箪から駒、本当にそんな次第があったらしくて。
“そういや、微かに川の水の匂いもしなくはないか。”
それでそんな口実を咄嗟に思いついた自分だったのかもと、
自身に宿る虎の異能の半端なさ、こんな格好で恐れ入りつつも、
それはそれとして、それでも…一体何があったやら。
ただでさえ、この数日は歴史的かもしれない寒波が襲来しているというに、
そんな愚行へこの男を煽り立てたなんて、何があってのことだろか。
この、実は切れ者なお人がそうまで煮詰まり、
余りに不合理なこと…自殺自体が不合理も甚だしいけど、
何もそんな日を選ばずともという極寒日にそんな無謀なことへ身を投じたり、
自分のような頼りない後輩へこんな愚にもつかぬことをこぼすなんて
凡そ正気の沙汰じゃアないとじんわり焦りを感じつつ。
だが、そんな様子に飲まれたまんま、こっちまで浮足立ってる場合じゃあないと、
「そんな弱腰でいてどうしますか。」
もはや狼狽えているとしか思えない太宰の肩に手をやり、
宥めるように揺さぶると、そうという窘めの言を繰り出した。
「よ、弱腰?」
to be continued. (18.01.09.〜)
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*ほらね、何だか面倒くさいお話になって来たでしょう?(おい)
具合が悪いからというのもあるんでしょうが、
慣れないことだけに、
どうしたら至上の至福を捧げられるのかという暗中模索が
とんでもない方向へかっ跳んでしまった太宰さんらしいです。
果たして収拾は付くのかなぁ。(こらこら)

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